辞書作りに目覚めた中学二年生
佐藤「松井先生は中学生になるまで、ご自分のお祖父様が『大日本国語辞典』を作った人だということをご存じなかったそうですね」
松井「ええ(笑)。中学二年生の時だったと思いますが、国語の教科書に、『大日本国語辞典』に寄せた芳賀矢一氏の序文が『学者の苦心』と題されて載っていたんですが、先生が『この辞書は松井のおじいさんが作ったものだよ』とみんなに紹介したんです。その時初めて、祖父がすごい辞書を作ったんだということを知りました」
佐藤「まさかご自身がその跡を継ぐことになるとは……」
松井「まったく思っていませんでしたね。ただ実はそのころ、自分なりの辞書を作ったことがあるんです。講談本などに出てくる、真田十勇士(注1)、賤が岳の七本槍(注2)、頼光の四天王(注3)、寛政の三奇人(注4)、といった数字がつく言葉を集め、それらは誰を指すのかを示した辞書を遊びで作っていました。当時は祖父の仕事のことを理解していませんでしたが、振り返ってみると、そういうことが好きだったのかもしれません」
祖父・簡治さんの仕事を中学生の松井さんに意識させた芳賀矢一さんは、近代的学問としての国語・国文学を樹立した国文学者で、簡治さんとは以前より親交があった。実は芳賀矢一さん、その後の松井さんの人生にも浅からぬ因縁がある。小学館から『日本国語大辞典』を出す際に、小学館側の人間として主体的に動いたのが、芳賀矢一さんの息子さんである芳賀定さんであったのだ。
最大の転機となった
恩師との仕事
佐藤「松井先生が本格的に辞書作りに携わるようになられたのは、いつごろからでしょうか?」
松井「1953年、27歳のころです。恩師・時枝誠記先生が『例解国語辞典』(注5)を作るというんで、その原稿作成に携わったんです。当時は私立武蔵高校の国語教師をしていまして、そこの三木孝先生に誘われての参加でした」
時枝誠記さんは昭和を代表する国語学者だ。「言語過程説」を提唱し、これに基づいて形成した独自の国文法は時枝文法として有名。松井さんは、東京大学文学部時代、指導教官が時枝先生であった。
佐藤「辞書作りの側から見ると、『例解国語辞典』は画期的な辞書でした。それまでは類似した意味の他の言葉に言い換えてすませていた辞書を、極力丁寧に説明し直そうとしていますし、語句のすべてに使用例をつけるようにしています」
松井「時枝先生は、私が『日国』を作るということになったとき、『松井は、ああいう大きな仕事に耐えられるだろうか』と私の線の細さを心配してくださったそうなんです(笑)」
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注1 真田十勇士
戦国末の武将、真田幸村の家臣たち。大坂冬の陣、夏の陣で活躍した10人の勇士。 -
注2 賤が岳の七本槍
賤が岳の戦いで、羽柴秀吉軍で活躍した7人の武将。 -
注3 頼光の四天王
源頼光とともに活躍した4人の家臣。 -
注4 寛政の三奇人
江戸中期、尊皇、外交に特に関心を示した林子平、高山彦九郎、蒲生君平の3人。 -
注5 例解国語辞典
昭和31年に中教出版から刊行された国語辞典。
松井栄一(まつい・しげかず)
佐藤 宏(さとう・ひろし)