「古典」をめぐるクロストーク──新旧の『新編 日本古典文学全集』編集長、佐山辰夫さんと土肥元子さんにお話を伺う、3回目。
売れる確信はさておき、作る自信はある
──1994年から、『新編 日本古典文学全集』の刊行が始まります。
佐山「あえて『新編』という新しい全集を出したのには、いくつか理由があります。一つは、旧全集のときの三島由紀夫さんからの宿題。新聞広告に推薦文を頂戴した際に、『太平記や滝沢馬琴がないのは寂しい』と注文をつけられまして。ほかにも、歴史的分野の『日本書紀』が入っていないなど、新たに加えたい古典がたくさんあったのです。もう一つは、印刷の問題がありました。『日本古典文学全集』は毎年のように重版をしていたのですが、校注・訳者の要請で部分改訂を繰り返したために印刷の原版自体が痛み始めて、出し続けることが難しくなっていたんですね。ところが、『重版してほしい』という読者からの声は強い。だったら、一から組み直した『新編』を作ろうじゃないか、とこうなったわけです」
土肥「私は、88冊のうち、企画の最初から最後まで担当したのは10冊です。1冊作るのに、どれくらいかかるかというと、校注・訳者が大学にお勤めのかたわら、原文を書き起こすのに少なくみても1年。現代語訳や注釈に1年。その3つを組み上げて校了するまでに最低でも半年かかりましたから、校注・訳者が引き受けてから、本が完成するまで、だいたい3年はかかるわけです。国文学者からみると、おいそれとは引き受けられない。ライフワークとして取りかかるような覚悟を持って臨まれたようです」
佐山「出版社にとっても、『新編 日本古典文学全集』を出すことは、簡単ではありません。採算の問題もある。じつは『新編』の準備段階にあった93年、当時の小学館相談役で先代社長の相賀徹夫さんに呼び出されまして、"覚悟"を厳しく追及されたんです。私はこう答えました。『売れる確信はありませんが、よいものを作る自信はあります』。相談役はついには頷いて、編集部に冒険と失敗の自由を確かに保障してくれたのです」
古典と仏像の共通点とは?
──編集部は改めて"覚悟"をした、と。
佐山「『新編』を作るにあたっては、単に巻数を増やした、ということにしちゃいけないね、と当時、編集部では話していました。上げ底、水増し、焼き直し、この3つは出版人にとって、決して許されないことです」
土肥「東大寺の大仏殿は二度、焼失しているのですが、2度目の焼失(1567年)から現在の大仏殿ができるまで、120年以上、大仏が野ざらしになっているんですね。興福寺の阿修羅立像の展覧会が昨年開かれ、話題になりましたが、あの像は、維新の廃仏毀釈の時には、修繕もできないまま置かれていたそうです。仏像と古典はよく似ていて、誰かがその価値を見出し、守っていかない限り、忘れ去られてしまうものなのです。『万葉集』は、明治以降に正岡子規が再評価したものですし、世阿弥の『風姿花伝』の価値が改めて見出されたのは20世紀に入ってからでした。『新編日本古典文学全集』の編集は、新しい価値の再発見、という作業でもありました」
佐山「88巻のラインナップに入れるということは、『これを今後、私たち日本人の教養としよう』という、宣言であり覚悟でもありました。80巻でも90巻でもなく、88としたのは、末広がりの8を末尾にしたい、という縁起担ぎでもありましたが(笑)。この88巻に、私たちの思いを集約したということは、今でも胸を張っていえます。『新編 日本古典文学全集』を紐解くことで、たとえば私たちは1000年前の『源氏物語』の世界に直ちにアクセスできる」
土肥「『新編 日本古典文学全集』は現在においても、決して過去の遺物ではないんです。実際、昨年一年だけで39点の重版、重版がかかっていますし、読者の方からの問い合わせの電話は、ほとんど毎日のようにあります。ご自身の愛読書として、愛でてくださっているのだと思います。『隅から隅まで読みました』という読者からのありがたい言葉も、たくさんいただきました。この思いがまた、後世へと受け継がれ、読み継がれていくのだと思います」
佐山辰夫(さやま・たつお)
土肥元子(とい・もとこ)