奈良県:御所市 >
蛇穴村
[現]御所市大字蛇穴 水越川・鎌田川が葛城川に合流する所、葛城川堤の東方に立地。東は玉手村。応永二五年(一四一八)の吐田庄注進文(春日神社文書)に「三十四条六里 サラケ堂前」、「大和志」には「蛇穴一作佐羅気」とみえ、古くはサラケまたはサラゲと発音していたらしい。現高市郡明日香村大字豊浦にも小字蛇穴があり、蛇がトグロを巻き穴を作るような状態をサラキといった。サラキは新来の義か。嘉永七年(一八五四)の野口大明神縁起に次のような地名説話を載せている。
此邑の名蛇穴邑といふことの発りし初を考るに、これも古きことゝ見ゆ。
師木島の大宮に治天下天皇を欽明天皇と申奉。其大御代に百済国より始て仏像・仏経を貢献し時、仮家を建て、暫く此地に置せ給ふ所なる故をもて仏といひしと見ゆ。其仏の皇国言は佐良岐といふ。此国字母に蛇穴の二字能く熟せるをもて地名とせり。蛇は佐の音、良は上に添ふ古言の例、穴は岐の音なり。此二字は仏の皇国言の国字母なること詳なり。実に尊ぶべきの古風なり。かかる国字母だにわかずして、蛇穴の文字にかゝづらひて、くさぐさあやしの説あることを笑ふにたへたる後の世のわざなりかし。
元和郷帳には「さらけ」と記し、「寛文朱印留」に「蛇穴村」とみえ、元禄郷帳に「蛇穴村」の訓注がみられる。慶長郷帳では新庄藩(桑山一晴)領。村高七八九・一四石。後に御所藩(桑山元晴)領、寛永六年(一六二九)に幕府領、同一六年郡山藩(郭住、本多勝行)領に属し、延宝七年(一六七九)再び幕府領、明治維新に至った。
なお、蛇穴の牛市は、駒ヶ谷(現大阪府羽曳野市)の牛市とともに、畿内における二大牛市として著名で、大和においては西勢野村(現生駒郡三郷町)の牛市と並んで広く知られた。この牛市は、大坂城築城の際、豊臣秀吉が畿内の牡牛の用立てを命じた天王寺村(現大阪市天王寺区)孫右衛門に、蛇穴村の西京家が協力したことから牛問屋の権利を与えられたといわれており、実際に蛇穴に牛問屋が設けられ牛市が開かれるようになったのは宝暦四年(一七五四)からであったとされる。牛市は春秋各一回計年二回開設され、ここで因幡・美作・備前など中国産の役牛が取引されたが、大正初年、家畜市場法施行に伴い、中国牛専門市場としての幕を閉じ、以後は朝鮮牛なども取扱うようになった。
寛保三年(一七四三)の大和国葛上郡蛇穴村検地帳(区有文書)によると光明寺・長円寺・阿弥陀堂・野口明神社があり、検地奉行吉田源之助・神山三郎左衛門とみえる。
© Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo | 地図・資料:〔地図・資料の概要〕 〔閲覧ソフトの使用許諾〕 *〔閲覧ソフトの使用許諾〕を確認・同意の上、ご利用ください。 関連項目:- 御所町
- 柳原村
- 北十三村・南十三村
- 竹田村
- 松ノ本村
- 倶尸羅村
- 小林村
- 楢原村
- 三室村
- 宮戸村
- 森脇村
- 豊田村
- 寺田村
- 大井田村
- 名柄村
- 真志村
- 関屋村
- 佐田村
- 井戸村
- 南郷村
- 東持田村・西持田村
- 小殿村
- 栗坂村
- 林村
- 鳥井戸村
- 五百家村
- 舟路村
- 僧堂村
- 朝妻村
- 北窪村・西北窪村
- 極楽寺村
- 高天村
- 伏見村
- 神通寺村
- 桜井村
- 福西村
- 水野村
- 東佐味村
- 室村
- 富田村
- 池ノ内村
- 茅原村
- 本馬村
- 玉手村
- 柏原村
- 原谷村
- 今住村
- 戸毛村
- 稲宿村
- 古瀬村
- 樋野村
- 奉膳村
- 朝町村
- 重坂村
|